C105配布予定の先行公開版
はじまりのはじまり -Looking for the sky-
日差しは柔らかい感触を伴って僕の身体を暖めてくれる。冷え切った財布事情と四月なのに就活をしている事実が辛い。秋葉原……いや、今は神瑞という駅名になったのか。受かる感触すらない最終面接の帰りに当てもなくぶらつく。
「ああ~、今日もいい天気だな~」
ほぼヤケクソだ。周囲の高校生や社会人たちの目線が痛い。同じスーツ姿なのに四月になっても無職の自分とサラリーマンでは別物だ。
東山(ひがしやま)冬詩(とうじ)……それが僕を形作る名前だ。履歴書に乗っているデータは大した情報量ではないが、有意義に使われることは今後もきっと無いのだろう。
「んっ?」
道の真ん中で人が座り込んでいる。女子高生くらいだろうか……どこか見覚えのある白いリボンを前髪に巻いて辛そうに蹲っている。怪しく見られないように、慎重に話しかけなきゃ……警察のお世話にはなりたくない。
「大丈夫、ですか……?」
「はい、大丈夫です……」
返ってきた声は想像よりも透き通っていた。彼女はゆっくりと立ち上がると、ふわりと笑顔を浮かべた。その表情は春の日差しと見間違えるほど暖かい……のだが、途端に曇り空になってしまう。
「いえ、走ってたら転んじゃって……。あっ、急がないと。すみません、失礼します……痛ッ!」
「どうかしたの……?」
「足を挫いちゃったみたいです……」
「仕事……レッスンに遅刻しそうだから急がないと」
「じゃ、タクシー停めようか?」
そこまで話したところで彼女は丁寧に頭を下げた。赤いセータと一体化したワンピースが太陽の光を反射していた。
「ご親切にありがとうございます。でも、すぐそこですから、歩いて行きます」
「でもその足じゃ、歩けないでしょ」
彼女がきっと足を挫いているだろうということは、素人である僕の目にも分かる。それでも目の前の少女は歩き出そうとしていた。
「あの……。お願いがあるんですが……」
その『お願い』を聞こうとしたら、やっぱりいいです!……と身を引かれてしまった。良い子なんだろうけど、手助けのしようが無いな。ここはちょっと強気に出てみるのが正解かも知れない。
「言って。出来ることなら、力になるよ」
「これ……持ってもらえませんか?」
「ああ荷物?お安いご用だよ」
彼女はおずおずと手に持っていた鞄を差し出してきた。受け取ってみるとずっしりと重い。この重量感からして書類の束かな……?
「すみません! 初めてお会いした方に、図々しいですよね」
「急いでるんでしょ?」
早く行かなきゃ間に合わないかも。場所を詳しく聞くとケバブ屋さんの道を曲がった先にあるらしい。スマホでマップを見ながら振り返る。この道順だと……こっちかな?
「はい、ありがとうございます!」
そう言って彼女は負傷したであろう右足を庇いながらも、僕の背中に飛び乗って来た。幼い子をおんぶする様に彼女は背中からしがみついて離れない。
「ちょっと何してるの⁉」
「あ、その……安心するなーって」
「事案になるから!すぐ、降りて……っ!」
成人男性の背中に飛び乗る女子高生……もう、人生終わっちゃったかも。すぐさま背中から降ろして目的地に向かうことにする。『エールブルー』とマップに表示されているがビルの一角らしく詳細は何もわからない。
「着きました。ここが……わたしが所属してる事務所『エールブルー』です」
「事務所って……君、芸能人なの?」
そう尋ねてみると彼女は気恥ずかしそうに俯いた。連れてこられたのは神瑞にあるビルの一角……その二階だ。入り口に『AiRBLUE事務所』と看板があったが中に入ってみると人の気配がまるで無かった。
「まぁ、芸能人ていうか……まだタマゴですけど」
「タマゴって、女優のタマゴとか?」
卵となると鶏卵になってしまうけれど、いわゆる新人の様なモノなのだろう。
「いえ、わたしが演じるのは、声だけで……わたし、声優のタマゴなんです。
「声優……?」
声の仕事、つまりアニメだったり映画の吹き替えだったり……声の演技を生業とする職業だ。彼女は声優を仕事とする人間だった。言われてみれば、心なしか声に聴き覚えがあるような気がする。
「六石陽菜です。よろしくお願いします」
彼女は……いや、陽菜さんは再び深々と頭を下げた。麻色の髪に白いリボンを巻き、赤いノースリーブニットの下には白いシャツがチラリと見える。
「よろしくお願いしま……」
「はじめまして。『エールブルー』の社長、鳳真咲です」
突然現れたのは、いかにも仕事ができるというような風体の女性だった。社長……というあたりこの事務所の代表なのだろう。
「あ、どうも……はじめまして……」
なんというか、キレイな人だけど、怖そうだな……。一度怒ったら怖そうな人という直感が働いていた。逆らわないように、この人の言うことは聞いておこう。そう心に決めた。
「聞いたわよ。あなたが陽菜を助けてくれたのね」
「たまたま通りかかったら、座り込んでいたのが目に入って……。つい声をかけてしまいました……」
「助かったわ。どうもありがとう」
「じゃ、これで失礼します」
変に従順になっている自分がいた。そそくさと事務所から離れようと頭を下げて立ち去ろうとしたのだが……呼び止められた。
「待ってよ。せめてコーヒーくらい飲んで行って」
「いえ、そんなお気遣いなく……」
コール音。その音源は真咲社長のポケットから発せられたものだった。それに気が付いたのか、電話を取り出しながらコーヒーメーカーを指さす。
「あ、電話だわ。ちょっとごめんなさい。コーヒーそこにあるから、自分で入れてね」
「えっ、自分で……?」
「小さな事務所だから、人手が足りないの……はい。お待たせしました。エールブルーです」
真咲社長は電話に出ると部屋から出て行ってしまった。部屋を見渡しても陽菜さんの姿は無い。レッスンとやらに向かって行ったのかな。放置されている気がして少しだけ寂しい気持ちになる。
「ま、いっか……。えっと、コーヒー」
コーヒーメーカーの前で慣れない操作をしながらも二杯分作る。折角なら真咲社長の分も淹れておいた方が良いかも。そう考える程に混乱していた。
「では詳細が決まりましたら、またご連絡します。失礼します」
「あっ、コーヒーどうぞ」
電話を終えた真咲社長が部屋に戻ってくる。紙コップのままでは申し訳ないと思い、紙コップホルダーにも装着しておいた。
「あら、私の分も入れてくれたの?」
「ひとりで飲むのはどうかと思って」
「あなた……なかなか気が利くじゃない」
気を利かせたのは真咲社長の方じゃないですか……なんて口は利けなかった。
「あぁ、また……悪いけど、この書類コピーしてきてくれない?」
「えっ……コピーですか?」
「そう。十部ぐらいでいいわ」
結構大事そうな書類だと思うんだけど、僕なんかに任せていいのかな……?
「はい、もしもし。エールブルーです」
小さな事務所って言ってたけど、忙しそうだな……。印刷機があるであろう部屋の一角に進み、なんとなく書類の内容を見てみる。中身は履歴書に近い物のようだった。
六石陽菜……この資料はさっきの子の物かな。本当は見ちゃいけないんだろうけど、少し興味が出てしまう。ちょっとくらいは良いよね……?
「何してるんですか……?」
「あっ……ちょっと書類をコピーしに来たんだ」
危なかった。まさにその本人と鉢合わせてしまった。慌ててコピー機に書類を入れてコピーを始める。確か……十部だった気がする。
「コピー……どうして?」
真咲社長に頼まれてコピーしに来たとは、口が裂けても言えなかった。書類を見ようとしていたのがバレたような気がして、話題を無理やり変えることにした。
「そんなことより、足はもう大丈夫?」
「はい。手当てしてもらったので、もう大丈夫です」
「そっか。それは良かった」
陽菜さんが物珍しそうにこちらを覗き込んでいるのが、少し心が痛くなる。
「陽菜……道で転んだんだって? 相変わらず、ドジだな」
「舞花ちゃん……。ドジなのは分かってるんだから、言わないでよ」
同じくらいの歳の子が突然会話に入って来た。黒髪をポニーテールでまとめている元気そうな女の子だ。将来は美人さんになりそうな予感がする。
「この人、誰……新しいマネージャーとか?」
「ううん。わたしを助けてくれた、親切な人」
「は、はじめまして……」
今まさに値踏みをしていますといったような表情で、こちらをガン見してくる。
「彼女もわたしと同じ、声優のタマゴなんです」
「どうも! 鷹取舞花っす!」
すると彼女……舞花さんは楽しそうに話し始めた。自分の名前の漢字の書き方を。
「鷹取舞花の『鷹』に鷹取舞花の『取』に鷹取舞花の『舞』に鷹取舞花の『花』で鷹取舞花っす」
「ちょっと待って、それ初対面の僕じゃ伝わらないやつだよね⁉」
そんなことないっす!舞花ちゃん落ち着いて!そんな話し合い……という名のおしゃべりをしている内に、真咲さんが戻って来た。
「コピーありがとう。助かったわ。コーヒーをどうぞ。遠慮しないでね」
「すみません、いただきます」
自分が入れたコーヒーを飲みながらソファに腰掛ける。心なしが普段呑むコーヒーよりも苦い気がした。することも無いのでそれぞれの話に耳を傾けることにした。舞花さんが窓の外に目を向けながら話し始める。
「真咲さん、志穂とほのかは遅刻ですか?」
「さっき、電車が遅れるって連絡があったの」
「志穂ちゃんもほのかちゃんも家が遠いから大変なんだよね」
……どうやら、志穂とほのかという子もいるらしい。小さい事務所だと聞いたし所属している子も少ないのかな?
「すいません!遅くなりました!」
大きな音と共に事務所のドアが開け放たれる。その衝撃に思わず……手に持っていたコーヒーを膝の上に落してしまう。その熱さに思わず身を仰け反ってしまう。
「うわ! あっつい!」
「大変! コーヒーが……大丈夫ですか!?」
先程入ってきた女の子が、ポケットからハンカチを取り出して近づいてくる。流石に拭いて貰うのは気恥ずかしいので、手で制して遠慮しておく。茶髪を背中まで伸ばし、半袖にハーフパンツ走って来たのか息を切らしている。それを見た真咲さんは注意を促していた。
「ほのか、ノックぐらいしなさい。びっくりしてコーヒーこぼれちゃったじゃない」
「すいません! 神瑞駅から猛ダッシュしたから、勢いが止まんなくて。ところで、どなたですか?」
部外者の人間に対して、当然の反応だろう。自分のハンカチでスーツのズボンを拭きながら、愛想良く笑うことしか出来ない。
「陽菜を助けてくれた親切な人」
「事情はわかんないけど、ありがとうございました!」
舞花さんの『親切な人』という表現に苦笑いを浮かべて、ほのかさんに対して答える。
「いえ、とんでもない……」
舞花さんとは違って、勢いのある子って感じだなぁ……。とはいえ、みんなを引っ張ってくれそうな子なのは確かだ。
「……助けたとは? 具体的にどのようなことを?」
「うわ!びっくりした……」
コーヒーを持ってなくて良かった。クリーニング予定のズボンが更に黒くなるところだった。突然背後から現れたのは、黄緑色の癖っ毛の女の子。
「ちなみに、鹿野志穂と申します」
丁寧なお辞儀と共にパーカーに付いた紐が揺れる。こちらを見つめる瞳の色は何処か訝しげだ。この子が志穂さん……かな?
「あのね、足を挫いて歩けないわたしを、助けてくれたの」
「なるほど、珍しい人。天然記念物だな」
陽菜さんの説明を受けて、大袈裟に頷いている。僕の存在は『親切な人』から『天然記念物』にジョブチェンジしていた。なんというか……この子は、独特な子だな……。
「バタバタと、ごめんなさいね」
「みなさん、声優のタマゴなんですか?」
真咲さんの言葉に思わず返してしまう。声優のタマゴ……確か新人さんみたいな意味だったかな?
「そうよ。……あなた、声優に興味ある?」
「いえ、アニメは見ますけど、声優さんのことはあんまり……」
「普通はそうよね。基本的に裏方だもの」
……でも、今の声優は、声でお芝居するだけじゃない。ステージで歌ったり踊ったりもする、総合的なエンターテイナーなの。その言葉通り、生で見た四人の『声優のタマゴ』はどの子も面白く可愛い子達ばかりだ。
「総合的なエンターテイナーか……。凄いですね」
「どう? 少しは声優に興味が湧いてきた?」
「ええ、まぁ……」
興味、というよりは好奇心に近いものかもしれない。この子達のことをもう少し知ってみたい。……きっと、そんな感覚だ。
「じゃ、ちょっとアルバイトしない?」
「えっ? アルバイト?」
聞き返したタイミングで、ほのかさんが入って来た衝撃かそれ以上の勢いで事務所の扉が開け放たれる。入って来たのはまた高校生くらいの女の子……ではなく、二十代くらいの元気な女性だ。
「真咲さん。今から新人のスカウトに行ってきます!」
「ちょっと待って。今日はアシスタントをつけるわ」
「アシスタントって、この人ですか?」
「経験は無いけど、とっても気が利くの。きっと力になるはずよ」
話し方からして真咲さんと同じく、事務所を運営する側の人間なのだろう。しかし、この人たちは僕自身の自由意志はなく話が進んでいるみたいだ。
「ちょっと待ってください……何の話ですか?」
「うちの事務所には、この子たちの他にも何人か声優のタマゴが所属してるわ。でも、もっともっと人数を増やしたいと考えてるの」
「そのためにオーディションをしたり、街でスカウトをしたりしてる。あなたには、スカウトのアシスタントをしてほしいの」
真咲さんの話し方からして新人をスカウトしたいと。いやでもよく考えたら、神瑞駅とかこの街で声を掛けに行くなんてナンパと大差ないのでは。……それに。
「スカウトのアシスタントなんて、いきなりそんなの無理ですよ!」
「大丈夫よ。あなたには光るものがある。私が保証するわ。あなたは、マネージャーに向いてる」
「え……マネージャー⁉」
マネージャーってスケジュール管理したり、芸能人をサポートする人の事だよね……それに、僕が向いてる?
「『エールブルー』のマネージャーのやってます、五十鈴りおです! 一緒に頑張りましょう!」
「いや、ちょっと待ってください……!」
人懐っこそうな笑顔を浮かべた五十鈴りおさん……いや、りおさんが背中をバシバシ叩いてくる。
「話は後で聞くから……とりあえずスカウトに行ってらっしゃい」
そうして訳が分からないまま、僕はりおさんに連れられてスカウトに向かうことになった。事務所がある二階から階段を降りながら、心の中で叫ぶ。どうしてこんなことになったんだ……!
「それじゃー、今からスカウトを始めるね。でも、手当り次第に声をかけりゃいいってもんじゃないの。どういう人に声かけたらいいか、分かる?」
「そんなの、分からないですよ」
事務所があるビルから少し歩いた先の道。ケバブ屋さんやグッズショップが立ち並ぶ交差点で、僕とりおさんは話し込んでいた。
「も~! アシスタントなんだから、ちょっとは考えなさいよ!」
好きでアシスタントになったわけじゃないんだけどな……。無論、口が裂けてもそんなことは言えない。こちらは就職中の無職で、日々を過ごすお金すら怪しくなってるんだ。アルバイトというならやり切らないと。
「やっぱ声優だから、声がいい人ですか?」
「もちろん声質は重要よ? キレイにマイクにのる声がいいわ。他には?」
はーい、シンキングタイム!と両手を叩き、その後には「チッチッチッ」とご丁寧にカウントダウンまで始まった。周囲の人から向けられる目線がまた痛くなる。
「あ……えっと、可愛い人」
「ピンポンピンポ~ン!だいせいか~い!」
「やった! 当たった!」
そう言って、ついはしゃいでしまう自分が恥ずかしい。羞恥心は遅れて来るものなんだな……。
「でも勘違いしないで。『可愛い』ってのは、顔の事じゃない。目には見えない『可愛い』が大切なの」
「どういうことですか?」
「例えばそうね……。こう『この子を応援したい!』って思える子」
「応援したいって思える子……ですか」
最初に出会った陽菜さんは、応援したいというより見ていないと心配みたいな子だったけれど。誰かに求められている要素とか、頑張って欲しいと自然と思ってしまう訴求力とかが大事なのかな?
「どうせだから、あなたがスカウトしてみる?」
「えっ……そんなの無理です!」
「何事も経験よ!さぁ、行ってらっしゃい!」
背中を押されて、人混みの中に埋もれていく。どうしよ……。いきなり声かけるなんて恥ずかしいな……。面接で話しかけられる事は慣れていても、誰かに声をかける事は慣れている訳がない。そんな中でも人混みの中で『可愛い』と思える子がチラリと見えた気がした。背丈からして中学生くらい女の子だろうか。あの子『可愛い』かも。よし、勇気を出して……。
「あの、すいません!」
「はい……何ですか?」
コテンと首を傾けるようにして尋ねてくる。その声は小鳥が囀るように軽やかだ。『エールブルー』っていう声優事務所に興味がありませんか。声優というのはアニメとか映画に声を充てる人で……そんな長い台詞は口から出るはずも無い。僕はしどもろどろになりながら、辛うじて言葉を紡ぐ。
「あの、声優とかって興味あります……?」
「はい。興味あります。ていうか、声優のタマゴです」
ブンブンと頷きながら彼女は答えた。物凄く聞いたことある単語を。えっと……声優のタマゴ?
「この子もうちに所属してるの。悠希ちゃん! 今からレッスン?」
「あ、りおさん。この人は新しいマネージャーですか?」
めちゃくちゃ身内だった。背後から様子を見ていたらしいりおさんが、気軽に話しかけているあたり、陽菜さん達以外の所属する声優なのだろう。
「ううん。アルバイト。今のとこはね」
今のとこって……。別にになる気ないんだけどな。元々は先生と呼ばれるような勉強はしていたけれど、まあ……失敗してしまったし。
「それじゃ、行ってきま~す!」
「はいは~い。頑張ってね~!」
元気よくやや走り気味で居なくなってしまった。りおさんに話を聞くと彼女は天童悠希という子らしい。高校生だというのが一番驚いた要素だ。本人には失礼だから心の中に仕舞っておくが。
「すいません、失敗しちゃいました……」
「どんまいどんまい! まだまだスカウトは始まったばかりだよ。さぁ、次いってみよ~!」
人混みの中目を凝らす。僕と同じスーツ姿の社会人はあまり見かけず、学校帰りの高校生や大学生くらいの子たちが増えて来た印象だ。応援したいって思える子かぁ……。あ、あの子どうだろう……。
「あの、声優に興味ありませんか?」
「えっ? 声優ですか?」
大人っぽい雰囲気だが、自分と同じくらいの年齢だろうか。そよ風が吹くような優しい声色だ。聴いていて心地いい……そんな気がする。
「もし良かったら、少しお話をさせて貰えないかと……」
「せっかくお声掛けいただいたのに、ごめんなさい。わたし、もう声優事務所に所属してるんです」
また事務所に……ってそれもあり得るか。プロとして活躍している人が居ても街中にいてもおかしくないはずだし。
「そうですか……。ありがとうございました」
「エールブルー所属、夜峰美晴といいます。それでは、失礼します」
「あなたもエールブルー所属⁉︎」
「ふふっ……また何処かで会いましょう」
目の前から美晴さんは居なくなってしまった。りおさんも何処に行ったか分からなくなったし、また他の人に声を掛けるしかない。二人連続で、声優さんに声かけるなんて……。あ、あの人はどうかな?かなり個性的だけど……。
「すいません、ちょっとお時間いいですか?
「我輩に何か用か?」
オッドアイにゴスロリの格好をした女の子でちょっと怖いけど、良い声してるな……。月夜に差し込む光みたいに、透き通っている。
「えっと、声優に興味ありませんか……?」
「残念だったな。我輩は、すでに声優の勉強中だ」
「じゃ、あなたも声優のタマゴ⁉」
「うむ。この悪魔エリスとは縁が無かったな……さらばだ」
不敵な笑いを浮かべながら何処かに消えてしまう。神瑞はこんな雰囲気の人たちも多いけれど、声優だったのは初めてだったな。ハァー……全然ダメだ。僕自身は、やっぱりマネージャーに向いてない気がする。
「お疲れさま。初めてのスカウトはどうだった?」
「大失敗です。よりによって声優さんばかりに声かけるなんて」
突然現れるりおさんには慣れてしまった。そんな流されている自分がちょっとだけ怖い。
「逆に言えば、それだけ人を見る目があるってことよ!ちなみに、さっき声をかけた二人も、うちの所属なの」
「悪魔エリスって子も……?」
「そう! 彼女は丸山利恵ちゃん。ちょっと変だけどとってもいい子なんだから」
「なるほど……」
事務所に帰るまでの短い時間の間に、エールブルーには十五人の声優が所属していること。その中にチームといいう括りがある事を何となく教えて貰った。事務所のビルの一階部分はカフェになっているらしく、結構多くの人が利用しているのが通りがかっただけでも分かった。ここのコーヒーがいっちばん美味しいんだからと話すりおさんは、少しだけ『可愛い』と感じてしまった。
「あら、お帰りなさい。りおから聞いたわよ。人を見る目があるんですって?」
エールブルーに戻って早々、真咲さんは僕を評価し始めた。何だろう。この事務所にいる人達は脈絡とか読まないタイプなのかな。それにいつの間にか社長に連絡をしていたりおさん……流石の腕前だ。
「やっぱり私の目に狂いは無かったわ。あなたはマネージャーに向いてる」
「あの、どうしてそう思うんですか……?」
鳳真咲社長は頑なに僕をマネージャーに引き入れようとしてくれる。どの企業にも、どの会社にも評価されなかった自分のような人間を。
「私に、コーヒーを入れてくれたでしょう?」
「そんなの誰だってしますよ。些細なことです」
「その些細なことが、実は大きなことなの。私がコピーを頼んだ時もそう。あなたは訳が分からないままでも、とにかく迅速に行動した」
有無を言わせない圧を感じたからやったんですよ。陽菜さんの資料も見ようとしていました……なんて事は、ここで言わない方が良いに決まっている。僕は無言で真咲さんの言葉に耳を傾けた。
「何より、陽菜を助けたでしょう?困ってる誰かを支えたいという気持ちは、とても大切よ。あなたは『マネージャー』に向いてるわ」
……あなたはきっと先生に向いてる。そう言われたことはあった。でもその結果があんなことになるなら、僕はマネージャーなんてなりたくない。そう、考えてしまう。僕自身が失敗して、誰かに失望されるのはもう沢山だ。
『先生。どうにかしてください』『助けて……お願い』『お前のせいだ』『東山先生は教職には向いていないみたいですね』
……僕自身が失敗して、誰かに失望されるのはもう沢山だ。
「ねえ、もし良かったらレッスンを見て行かない?」
その言葉で暗い過去から帰って来ることができた。真咲さんの芯の通った声が、頭の中に響いている。……正直、危なかった。
「レッスン……もしかして、声優のレッスンですか?」
「そう。皆はまだ声優のタマゴ……一人前になるのに、レッスンは不可欠よ」
その言葉に、僕はただ頷く事しか出来なかった。
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